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湾岸ラプソディ
1999年4月30日 角川書店 1800円+税 2段組285頁
[DATA]
#1991年3月号「マリ・クレール」(中央公論社)に、 『夜の果てまで』 の原型となる 短編第1話 「舞い降りて重なる木の葉」 を寄稿
#1991年6月号「新潮」(新潮社)に、 『夜の果てまで』 の原型となる 短編第2話 「泣くかもしれない」 を寄稿
#1996年3月31日、『夜の果てまで』執筆に専念するため、18年勤務した ぴあ を退社
#1996年7月号から98年2月号まで、「月刊カドカワ」に『夜の果てまで』連載
#1999年4月30日、『湾岸ラプソディ』と改題、角川書店より刊行
#2004年2月25日、連載時のタイトルに戻し、文庫刊行
#装丁: 高橋雅之
(高橋さんには「サウダージ」「金曜日にきみは行かない」「リセット」の装丁もお願いしました)
#カバー写真: 小瀧達郎
#編集者: 立木成芳
[書評]
◎「日刊ゲンダイ」1999年5月 佐藤正午の読書日記
◎「本の雑誌」1999年7月号 by 北上次郎
■関連エッセイ再録「『湾岸ラプソディ』千一夜」・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
こんなはずではなかった。当初の予定では、半年ほど集中して書きあげるつもりだった。それがどうしたことか、この一作を完成させるのに三年かかった。
私は遅筆で有名な、無名作家である。いやはや、自らこんな宣言をするなんて言語道断、担当編集者T氏の困惑ぶりが目に浮かぶが、こうして書きはじめてしまったのだから仕方ない、このまま続けるが、無名ではあるが無名なりに(ちょっとくどいな)熱心な読者の方もいて、新作はまだできないのか、と手紙を下さったりする。
もう少し待って下さいと、つい返事を書きたくなるが、そんな時間があるなら原稿を書けと言われそうなので、もちろん返事を出したことはない。
だが、さすがに三年間ほとんど新作を発表せず、ひたすら一本の長編に取り組んでいると、小説を書いている私のことを憶えているのは、もはやこの世に担当のT氏以外にいないのではないかという、えも言われぬ不安に襲われもする。
三年前の春まで、私は会社員だった。会社勤めのかたわら小説を書き、それが五冊の本になった。だが、六冊目になるこの長編小説は、かつてのように睡眠時間を削ったり、気を抜くと破片のように飛び散ってしまう週末の時間をかき集めるのではなく、平日の真っ昼間に悠然と書きたいと願った。
「会社を辞めて、小説を書くことだけに専念したい。一年間、なにも言わずに、黙って見ていてくれないか」
一家の主が突然そんなことを言いだしたのだから、家族はたまらない。さっそく家族会議が開かれた。
妻は首を横に振り、「一年なんて、あっという間よ」と言った。「だから、二年と言い変えたほうが、あなたの身のため」
思わず目頭が熱くなったが、「一年や二年じゃ、だめだよ」 と十三歳の息子が言った。 「どうせ会社を辞めんなら、三年くらいかけて、百万部売れる本を書かなきゃ」
目の眩む思いがした。百万部にではない。 「三年くらいかけて」 のほうだ。息子にとって三年は、中学の三年間に相当する。親が想像する三年よりもはるかに長いはずだ。励まされるより、その言葉はむしろプレッシャーになったが、なにはともあれ、私は書きはじめた。三年前の春のことだ。
冒頭に書いたように半年で書きあげるつもりだった。だが思惑に反して、第一稿の完成までに一年半かかった。遅筆の言い訳はできない。妻が指摘した通り、二年ぎりぎりのタイミングになったわけだ。
枚数は四五〇枚。ベストをつくしたという満足と、これが限界なのかという不満足の間で揺れる私に、「これ、すごく面白いですよ」と担当のT氏は言った。「でも、もっと大きなドラマがほしい気がします。もう少し頑張って、盛田さんの最高傑作、ものにしましょうよ」
そのときは曖昧にうなずいただけだったが、翌日から果てしなき改稿作業に突入した。
自作解説はなるべく控えたいが、この小説は「二十一歳の青年」と「三十三歳の人妻」の抜き差しならない関係を描いている。第一稿は、主人公の青年が一人称で語るスタイルで書いた。「ぼく」は人妻との恋愛に酔いしれ、やがて人生の迷路に入りこむ。だが、どれだけ追いつめられても「ぼく」は甘えている。これは一人称の罠だ。
私は半年かけて、これを三人称で書き改めた。登場人物も増え、六〇〇枚になった。
「傑作だと思います。でも最高傑作じゃないと思うんです」
T氏は食いさがった。ふう。ふたたび加筆改稿。主人公の青年ではなく、作者のほうが迷路に入りこむ事態にもしばしば陥ったが、それからさらに一年かけて、やっと最後の一行にたどりついた。八五〇枚。まさに精魂つきはてた。
以上、厚顔にも創作の舞台裏を披露させてもらったが、書店で『湾岸ラプソディ』を見かけたら、ぜひカバー写真に注目を。夕暮れの東京湾岸にシルエットで浮かぶ二人は 「二十一歳の青年」と「三十三歳の人妻」だ。 これは九〇年の撮影。次に本をひっくり返して、裏表紙の写真を。こちらは九九年の東京湾横断道路。つまり表が九〇年で、裏が九九年。
この物語は、九〇年三月に始まり、九一年二月で終わる。九九年の現在は描かれていない。だが、お読みいただければわかるが、ほんとうのドラマは 「物語の終わった明くる日」から始まる。私が書きたかったのは、そのことだ。ドラマの核心は、この二葉の写真のあいだの「空白」にある。

●盛田隆二(「本の旅人」1999年5月号)
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夜の果てまで(文庫版)
2004年2月25日 角川文庫 743円+税 525頁
[Data]
#1991年3月号「マリ・クレール」(中央公論社)に、 『夜の果てまで』 の原型となる 短編第1話 「舞い降りて重なる木の葉」 を寄稿
#1991年6月号「新潮」(新潮社)に、 『夜の果てまで』 の原型となる 短編第2話 「泣くかもしれない」 を寄稿
#1996年3月31日、『夜の果てまで』執筆に専念するため、18年勤務した ぴあ を退社
#1996年7月号から98年2月号まで、「月刊カドカワ」に『夜の果てまで』連載
#1999年4月30日、『湾岸ラプソディ』と改題、角川書店より刊行
#2004年2月25日、連載時のタイトルに戻し、文庫刊行
#解説: 佐藤正午
#装丁: 高柳雅人(角川書店装丁室)
#カバー写真: 田中正秋
#編集者: 佐藤秀樹
#2004年3月25日、2刷発行。4月10日、3刷発行。4月30日、4刷発行。5月30日、5刷発行。
6月10日、6刷発行。6月30日、7刷発行。7月30日、8刷発行。9月15日、9刷発行。
10月15日、10刷発行。11月1日、11刷発行。11月25日、12刷発行。
★2004年11月25日発行の12刷にて、おかげさまで20万部を突破しました。
#2005年2月5日、13刷発行。3月10日、14刷発行。5月20日、15刷発行。6月25日、16刷発行。
★2005年6月25日発行の16刷にて、おかげさまで25万部を突破しました。
#2006年1月15日、17刷発行。5月25日、18刷発行。
★2006年5月25日発行の18刷にて、おかげさまで30万部を突破しました。
[書評・その他]
◎「WEB本の雑誌」 2004年4月の文庫ランキング
◎角川文庫キャンペーン 2004年 「『夜の果てまで』クイズ」 正解率は33%でした
◎角川文庫キャンペーン 2005年 「発見。夏の100冊」 6.25〜9.20
◎角川文庫キャンペーン 2006年 「発見。夏の100冊」 6.24〜9.20
◎「文蔵」(PHP文庫) 2007年2月号の「青春小説特集」で紹介
[立ち読みコーナー]
◎BOOKSルーエ「冒頭部分を読めます」
◎角川文庫キャンペーン「第三章の一部分を読めます」
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